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東京地方裁判所 昭和52年(合わ)115号 判決 1977年5月27日

被告人 中西幸雄

昭一八・七・二八生 金融業

主文

被告人を懲役六年に処する。

未決勾留日数中一〇〇日を本刑に算入する。

訴訟費用中通訳人中野和子に支給した分を被告人の負担とする。

被告人に対する昭和五二年三月一九日付追起訴状記載の公訴事実について、被告人は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、法定の除外事由がないのに、営利の目的で、昭和五一年九月一七日午後三時ごろ、東京都港区高輪三丁目一三番一号高輪プリンスホテル六六四号室において、中山政隆こと蒋芳耀から、覚せい剤であるフエニルメチルアミノプロパン塩酸塩の粉末約四〇〇グラムを、代金二四〇万円で譲り受けたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

法令によれば、被告人の判示所為は、覚せい剤取締法四一条の二第二項、一項二号、一七条三項に該当するので、所定刑中懲役刑のみを科すべく、その所定刑期の範囲内において被告人を懲役六年に処し、刑法二一条を適用して未決勾留日数中一〇〇日を本刑に算入し、刑事訴訟法一八一条一項本文により被告人に訴訟費用中通訳人中野和子に支給した分を負担させることにする。

(刑の量定の理由)

被告人の本件犯行は、覚せい剤粉末約四〇〇グラムの譲受け一件にとどまるが、証拠によれば、情状(本件犯行の性質)として、被告人はかねて香港の覚せい剤密輸グループとの連繋のもとに、大阪方面におけるいわゆる「元売り」の地位にあつて、同グループの一員である蒋芳耀から覚せい剤を直接かつ大量に買い受け、他に売却して利得を図つていたもので、本件犯行もこのような取引の一部として行われたものであることが認められる。もつとも、被告人は本件犯行を全面的に否認しており、犯行に至つた事情等は明らかではないものの、被告人の経歴等に徴すれば、被告人の犯行の背後には資金提供者的な元締めが存在するものと推認されないではない。しかし、このことを考慮するとしても、なお、その犯情は重いといわざるを得ず、近時覚せい剤の使用が国民の間に拡がりつつある事情などをも考慮するときは、被告人に対し前記の刑を量定することは、やむを得ないものといわなければならない。

(一部無罪の理由)

被告人に対する昭和五二年三月一九日付追加起訴状記載の公訴事実は、「被告人は、法定の除外事由がないのに、営利の目的で、昭和五一年九月一八日午後三時二〇分ごろ、東京都港区高輪三丁目一三番一号高輪プリンスホテル八五二号室において、中山政隆こと蒋芳耀から覚せい剤であるフエニルメチルアミノプロパン塩酸塩の粉末約九三・〇六グラムを譲り受けようとしたところ、同室に麻薬取締官が立ち入つたため、その目的を遂げなかつたものである。」というのである。

そこで考察すると、証人宮川一三及び同蒋芳耀の当公判廷(第五回公判)における各供述、検察官作成の被告人の昭和五一年九月二八日付供述調書並びに前掲差押調書、鑑定嘱託書及び鑑定書の各謄本によると次の事実が認められる。

(一)  被告人は、前記のとおり、昭和五一年九月一七日、高輪プリンスホテル六六四号室において蒋芳耀(以下、蒋という。)から覚せい剤粉末約四〇〇グラムを譲り受けたが、その際、同人に対し翌日もまた覚せい剤粉末を買いに来る旨を告げ、同人もこれを諒解したこと。

(二)  被告人は、翌一八日午前一一時ごろ、同ホテルの八五二号室にいる蒋に電話を掛け、同日午後同室に赴く旨を告げ、同人も待つている旨答えたこと。

(三)  被告人は、右予告のとおり覚せい剤粉末を買い受ける意図のもとに、その六〇〇グラムの代金に相当する現金三六〇万円を所持して、同一八日午後二時三〇分ごろ、同ホテルの八五二号室を訪れたこと。

(四)  その時、蒋は、同室洋服箪笥内の自己の背広ポケツト内に覚せい剤粉末約九三・〇六グラムを被告人に売り渡す意図のもとに所持していたこと。

(五)  同室に入つた被告人は、「腹が減つた。食事したい。」と言つて、蒋を介してルームサービスの食事を注文してボーイに持つて来させ、その接待で食事を終え、ボーイが室外に出た後、コーヒーを飲みながら同室にいた蒋の友人陳至柔と香港の時計(商品)の話などをしていたこと。

(六)  その時、すなわち同日午後三時過ぎごろ、麻薬取締官が蒋に対する覚せい剤取締法違反被疑事件について令状に基づき捜索差押を実施するため同室に立ち入り、捜索の結果前記蒋の背広ポケツト内にあつた覚せい剤粉末を差し押え、蒋をその所持の罪の現行犯人として逮捕したこと。

(七)  被告人は、右のとおり同日午後二時三〇分ごろ同室に入つた後午後三時過ぎごろ麻薬取締官が同室に立ち入るまでの間において、同日に予定した蒋からの覚せい剤粉末の譲受けに関しては、蒋に対し、たとえば「覚せい剤粉末をどのくらい持つているか」とか、「どのくらい買いたいが」等の覚せい剤の譲受け行為の開始を示す趣旨の言葉は一言も発しておらず、また、その趣旨の動作(たとえば、所持している現金を机の上に置き、蒋に対して覚せい剤を取り出すことを促すような動作)もしていないこと、反対に、蒋も被告人に対し覚せい剤の譲渡し行為の開始を示す趣旨の言葉を発したり、動作もしていないこと(すなわち、被告人も蒋も、被告人の食事が終つた後に覚せい剤の取引の話をする心算であつたが、この話を始める前に麻薬取締官が部屋に立ち入つたものであること)。

以上の事実が認められ、他にこの認定に反する証拠はない。

ところで、覚せい剤取締法に定める覚せい剤の譲受け未遂の罪(同法四一条の二第三項、一項二号、二項、一七条参照)において、譲受けの実行に着手したといい得るためには、必ずしも覚せい剤の所持の移転行為自体を開始することを要せず、所持の移転のための準備行為を開始することで足りるものと解するが(麻薬の譲受けの事案に関する東京高等裁判所昭和三二年九月一八日判決、高裁刑集一〇巻七号六二五頁参照)、その準備行為は所持の移転に密接したものでなければならない。これを本件について見ると、証拠によれば、被告人は以前から数回にわたり蒋より覚せい剤を買い受けていたものであるところ、前記認定事実(一)及び(二)のとおり昭和五一年九月一八日午後に覚せい剤粉末を買うために前記ホテル八五二号室に赴く旨予告し、蒋もまたこれを諒解した上、同認定事実(三)及び(四)のとおり資金を用意して同室を訪れ、その時蒋は手もとに同粉末約九三・〇六グラムを所持していたものであつて、麻薬取締官の立入りがなければ当然被告人は蒋から右の量の覚せい剤粉末を譲り受けるに至つたものと認められる。しかし、被告人が右のような状況下において蒋の部屋を訪れた行為をもつて、覚せい剤の買入れに伴う所持の移転に「密接した」ものと見るのは相当ではなく、密接した準備行為があるとするには、さらに、被告人が、同室に入つた後に、蒋に対し、たとえば「覚せい剤粉末をどのくらい持つているか」とか「どのくらい買いたいが」とかの言葉を発し、もしくは蒋との従来の密接な関係上言葉を発することはしなくても、たとえば所持している現金を机の上に置き、蒋に対し覚せい剤を取り出すように促す動作をすること、又は蒋が被告人に対し「現在この部屋にはこれだけあるが」とかの言葉を発し、もしくは同趣旨の動作をして、これに被告人が応ずる行為をすることを要するものと解するのが相当である。

ところが、前記認定事実(五)、(六)に及び(七)のとおり、被告人は八五二号室に入つた後食事などをしたにとどまり、被告人も蒋も覚せい剤の取引に関して何らの話も動作もしていなかつたものである。したがつて、右説示に照らして明らかなように、被告人が覚せい剤譲受けの実行に着手したものということはできない。

そうすると、前記公訴事実については犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡しをする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 大久保太郎 小山[金享]一 小川正持)

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